
2012.02.27
一昨日、二月二十五日は朝から雨、大安吉日を選んで「すまい・る市場」の工事起工祭を執り行いました。
2月1日のブログで紹介をした住いの何でも相談窓口「すまい・る市場http://www.shinshin-homes.com/blog/2012/02/post-42.html」、工事着手に際し出雲大社相模分祠にお願いをし、起工祭をする事にしました。相模分祠の社主草山宮司様に直々おいで頂き、式の開始。
お祓い(おはらい)の儀
御神前に海の物、川の物、山の物、のお供え物をし、清め祓いをして儀式を始めます。
祝詞奏上(のりとそうじょう)
工事の無事、当社の社業隆盛を草山宮司様が神様にお願いをします。
玉串奉奠(たまぐしほうてん)
私も工事の安全、無事完成、などを念じて玉串を御神前に奉奠いたしました。
式後に草山宮司様は「祝い事に一番よい天気は朝雨が降り、夕刻に晴れ上がるのが望ましい、雨は天から直に恵みを運んでくれる天のお使いだから。本日は誠に運の良いめでたいお式になりました」との事でした。
サアー、これから工事、六月末の完成、オープンを計画しています。
2012.02.21
《ピュイサンス》フランス語で"力"という意味だそうです。
洋菓子店ピュイサンスが24日にオープンします。洋菓子店で"力"とは?
パテシエの井上佳哉さんは茅ヶ崎市生まれ、お父さんが藤沢で洋菓子店《ボナール》を経営しています。次男の井上さんも小さいときからお父さんの仕事を見ていて「僕も菓子職人になる」と決めたそうです。
井上さんは、大田区の《メゾンドプチフール》で5年間の修行の後、フランスに渡り高名なフランス菓子職人協会で2年間の修行。帰国後はフランス菓子界のカリスマ世田谷区尾山台《オーボンビュータン》河田勝彦氏の下で3年半、片腕として活躍し、2001年横浜市青葉区にて《ピュイサンス》を開店、現在はデパートへの出店。数々の雑誌・テレビなどに紹介されプロ向け講習会の講師としても活躍中なのです。
ピュイサンス "力"とは師匠の河田氏からの「どんな仕事でも一流になる為にはパワー(力)が必要なのだ」との教えからこのネーミングにしたのだそうです。「洋菓子店にはチョッと向かない名前かも・・・・・・」(井上夫人:談)
井上さんは自宅とお店を一緒にした店舗併用住宅をと考えていました。そんな時お店の近くに希望通りの土地が見つかったのでした。
「誰に設計を依頼したらいいのかね・・・」と考えた奥様は、子供さんの幼稚園繋がりの友人Nさんの家がピンときました、モダンの中にもアンティークな設えがとても気に入っていたのでした。その家の設計をしたのが私の友人建築家豊田悟氏です。
・・・・・・・・・・・・とのご縁で始まった建築でした。
昨日は開店前の消防と保健所の検査、関係者が集まると聞いて私も行ってみました。
閑静な住宅街の中に建つ《ピュイサンス》 豊田氏によるとフランスのどこにでもあるような民家をイメージした外観なのだそうです。
PUISSANCEのネームプレート
消防検査: 消防署から二人の署員が検査に来ました。火器使用ヵ所などをチェック
保健所の検査: 衛生設備(手洗い器など)が適切に設置されているかなどを見て行きます。
チョッとビックリしたのは天井から吊下げてあるポークの生ハム、その下にはお酒が飲めるバーカウンター。日本人の感覚からすると「洋菓子店の中にバーがあるのはチョッとね・・・・・・・・・・」。しかし井上さんの話ではフランスでは別に珍しい物ではないそうです。
せっかくですから豊田氏にお客風にカウンターの前に立ってもらい、オーナー井上さんとのツーショット。
検査も終わり開店を待つだけとなりました。入り口前で記念撮影を、右から現場監督氏居、豊田氏、井上様、私
クリックし拡大をして住所、地図を確認し是非皆さんも井上シェフが作る本格的なフランス菓子とワイン、生ハムをご堪能下さい。
2012.02.11
半月ほど前、建築家鳥巣元太氏と話をしていた時「建築に携わる者として一度被災地を見ておきたい」と言われました。鳥巣先生とは30年近いお付き合いをさせて頂いています。昭和63年に完成した当社社屋の設計をお願いしたのも鳥巣先生が社長をしている設計事務所でした。その後御親戚のお宅、ご友人のお宅、そしてこの度はご長男の家のご新築を依頼されています。
鳥巣元太氏
福岡県に生まれる。福岡修猷館高校卒。東京大学工学部建築学科卒。大手ゼネコン入社。設計事務所「アルスデザインアソシエイツ」代表取締役。東京理科大非常勤講師。東京大学工学部非常勤講師。
それではという事で当社井上専務、田端常務と私の四人で現地視察に行って参りました。
7日の朝早く家を出るとあいにくの大雨、予報では宮城県の天候も一日雨。アーひどい時に予定を組んでしまったなー。
仙台から石巻までのJR仙石線は途中津波にのまれ開通の目途も付いていません。仙台駅前から高速バス、御昼前には石巻に到着、,
雨も上がり薄日が差し始めていました。
二日間に渡り私達を車で案内してくれたのは高校時代の友人四倉さん。
昼食後石巻市内の被災地を案内してくれました。
石巻市内を見渡せる「日和山公園」。初めて見る鳥巣先生、井上、田端は唖然としていました。

私の友人安倍友一くんが経営をする離島航路「網島ライン」、社屋兼乗船待合所として建築中だった建物、3・11の日は屋根工事業社四倉さんの従業員が屋根工事中でした。
天気に恵まれた翌8日は女川町へ、海面から20メーターほど高い女川町立病院の駐車場から眺めます、この高台に建つ病院の二階床上まで津波が押し寄せ、この駐車場に居た人々は津波にのみ込まれたとの事。

女川町立病院を下から見上げてみました、あの建物の二階まで水が揚がったとは一概に信じられません。

鉄筋コンクリートの建物がいとも簡単に倒れています。倒れた建物は皆海側に倒れたのです、すなわち引き波によって倒壊したのです。
杭ごと引き抜かれた鉄筋コンクリートの建物、いかに津波の力が凄い事か・・・・・。
世界中に配信されたこの光景、雄勝公民館の屋上に乗り上げた観光バス。記念として保存も検討されたが地元住民の声により近く下される事になったそうです。
雄勝町伝統産業会館。雄勝町は 漁業と石の街、玄昌石と呼ばれる石の産地として有名でした。この玄昌石は硯石として国内の硯材のほとんどを産出し、また町内には沢山の硯工房があったのです。
この玄昌石は天然スレートと言われる屋根材としても知られていました。昭和62年から平成12年までの間、この地に在った日本最古の天然スレートの製造会社「雄勝天然スレート株式会社」の経営を新進建設が担っていたのです 。この間私は何度もこの地を訪れていたのです。
社屋、工場、創業者の邸宅、倉、すべて無くなっていました。わずかに切断機、ドラムなどが赤さびた状態で残された姿を見、何度も訪れた日々を思い万感胸に迫るものがありました。
現地に散乱している天然スレート。現在改修工事中の東京駅の屋根は明治の創建時から このスレートで屋根を飾っていました。今回の大改修でもこのスレートで葺く予定でした、しかしこの惨状では作り貯めていたスレートは残っていないだろうと大手ゼネコンは判断し、外国産の物を使用する事にしたのです。
当社の後を継いだのは友人の四倉さんです、四倉さんも「もう駄目だろうな―」と思いながら被災後雄勝に行ったところ奇跡的に東京駅用に作り貯めたスレートは残っていたのでした。この事はツイッタ―により日本全国に広まり「被災地のスレートを守れ―」との声が渦を巻いたのです。ついにゼネコンも決定を翻しこの雄勝の天然スレートを使用する事になったのでした。
私の母親の故郷の小学校です、母方の従兄弟達はみなこの分校の卒業生、現在分校は廃止され親戚の子供達はこの校舎に通っていました。学校から一番遠くにある集落に住む従兄弟の孫二人も在校生でした。毎日集落の子供達12人で集団登校していたそうです、たまたまあの日従兄弟の嫁が用事で石巻に行かなければならなかった、いつもより早めに子供二人を迎えに行った、その後にあの惨劇。12人の子供は従兄弟の孫の二人ともう一人の三人が助かっただけ。
従兄弟の家は津波にも逢わず無事でしたが、このままこの地で暮らし子供二人をあの学校に通わせる事は出来ないと考えた従兄弟家族は石巻市内に借家を借り移り住んでいました。この様な二次被害も多くあると聞きました。
鳥巣先生、井上専務、田端常務は口をそろえて「テレビで見ていて分かった様に思っていたが、現場に来てこの惨劇の甚大さが初めて分かった」と言っていました。
鳥巣先生には「復興の為に私が出来る事があれば何でもします」と言って頂きました。
この惨劇が「記憶」となるまであと何年の月日が必要なのでしょうか。
2012.02.04
大変寒い日々が続きますが今日は立春、しかし春まだ遠い感が強い昨日今日です。
昨日は出雲大社相模分祠の節分祭にお招きを頂き、豆撒きをして参りました。
大勢の招待客の中には日馬富士を筆頭とする伊勢ヶ濱部屋の力士が沢山来ていました。
受け付けを済ませるとスーツの上から裃を装着されます(何となく違和感がありますね)。
氏居建築設計事務所の氏居さんと
その後拝殿に上がり節分祭の神事が執り行われます。
その後外に出て仮設の舞台に上がり豆撒き開始。
まずは宮司の草山様が挨拶、市長、県会議員・・・・・・・、とつずきます。
大勢の皆さんが参集するため、危険回避として、子供、65歳以上の高齢者には一人づつ手渡し。その後6回に分けて壇上から豆撒きとなります。
撒き手も大勢、皆さん「福ハ―内・・・・・・・・・・・」たいへん賑やかな節分祭でした。
日馬富士、さすがに大きい身体で大きな手で遠くまで飛ばしていました。
私も大きな声で「福ハ―内・・・・・・・・・・・・・」
2012.02.01
今日は2月1日、このブログもチョッと中休みを頂きました。
毎日寒い日が続きますが皆様は風邪などひいてはいませんか。
昨年の秋ごろから計画をしていたプロジェクトがついに動き出しました。
私は長い間「家造り」に携わって参りました。
「家造り」はハードウェア、家という箱を作ります。では「住まい造り」とはソフトウエア、家が建つ土地、環境、インフラ、家族との生活、家のメンテナンス等々、人々の人生のそばに寄り添い、守り、愛しむものでなければ「住まい造り」とは言えないのではないか、と考えるようになりました。
具体的に言いますと人生と「住い」の関係は
1、結婚を機にアパートなどの賃貸物件を探す、この窓口は【賃貸斡旋の不動産業者】
2、しばらくして子供もでき、戸建て住宅をと考えた時土地探しの窓口は【宅地開発の不動産業者】
3、土地は買ったがどこの建築会社で新築しようかと考えた時の窓口は【ハウスメーカーの住宅展示場】
4、10年、15年住んで家族構成も変わりリフォームをしたいと考えた時の窓口は【無い、又は少ない】
5、30年、40年住み、子供達も独立し夫婦二人になり「もっと温かい所に移住しようか」又は「実家に戻ろうか」と考えた時住んでいた家を 買い取ってくれる窓口は【明確に無い、不動産業者との付き合いが無い】
考えて見れば「住まいの窓口」はみんなバラバラじゃないか、と思い当たったのです。
そこで賃貸住宅から不動産の買い取りまで一つの窓口でサービスが出来る施設を、と考えたのです。
賃貸や宅地の豊富な情報、新築やリフォームの提案が出来るショウルーム、不動産買い取りのご相談を受け付ける等の為のお店を開設する事にしました。場所は当社モデルハウス「アトリエくらびと」の隣。
建築の構造が判り易く説明のできる模型、結露や防音・断熱等が体験できる体験コーナー、和風・モダン・クラシック等のインテリアの展示、ガーデニング、浴室や洗面のリフォームモデル、建材の展示、不動産相談コーナー。そしてアウトドアテラスが付いたカフェテラス。など。「住い」の事なら何でも情報が入る、品質の良い提案が出来る、楽しく笑顔になれる、そんな賑やかな施設を目指しています。
そこでこの施設を≪すまい・る市場≫と命名する事に致しました。
右下がカフェテラスになります。駐車場は建物奥に屋内駐車場を設けます。
今年の夏までにはオープンさせたいと思い、現在準備を急ピッチで進めています。
今後進捗状況などをこのブログでご報告いたします。