平成24年 石巻

2012.01.07

新年明けましておめでとう御座います

今年一年皆様に幸多き事お祈り申し上げます。

 

12月30日の東京駅は帰省客で大混雑、私もその一人として東北新幹線のホームに立ちました。ひと列車遅らせた自由席にどうやら座る事が出来たのです。今迄は仙台から「仙石線」仙台から石巻までの電車(最北の電車と聞いています)。仙石線は松島のあたりで海岸すれすれに走るとても景色の良いローカル線です。仙石線の窓から松島湾を眺めると故郷に帰って来たな―、といつも思ったものでした。この仙石線が復旧するのは何年先になるのでしょうか。

 

仙台駅前発石巻行きの高速バスにゆられ夕方には実家に到着、今年94歳になる母親、長姉、被災し実家で避難生活をしている次姉夫婦が迎えてくれました。

 

昨年10月、大変お世話になった友人のお父様が98歳でご逝去されました。年の内にお参りを、と考えていたもので31日に御仏前にお参り、その後石巻の様子を見て廻りました。

 

4-スタンド.JPG昨年4月中旬の南浜町の街道。流されず残ったスタンドの看板が印象的でした。

 

 

 

 

 

 

 

1-スタンド.JPG12月31日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4-中瀬.JPG被災後。北上川の中州、石巻では「中瀬」と呼んでいます、ほとんどの建物が流されてしまっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

1-中瀬.JPG瓦礫は片付けられ、殺風景な景色になっています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友福.JPG 石巻の街中。友人が経営する料理屋「友福丸」があった場所

 

街中.JPG

ここも街中、まだまだこの様な状況です

 

 

1-日和山神社.JPG元旦、次姉夫婦と日和山神社に初詣

 

その後被災をした姉夫婦の家がある門脇築山へ行ってみました。4月に見た風景は、流れ着いた瓦礫や、車、解体を余儀なくされた住宅などで一杯でしたが、撤去が進みガランとした感じの街並みでした。

4-飯田家.JPG次姉の家。二階の床近くまで波が来たのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1-飯田.JPG復興計画がなかなか決まらず、今後住めるのか住めないのか決まらなかったこの地域。海側に防波堤が出来る事で、住居地域に指定されました。一見何事もなかった様に見えますが、一階部分は骨組みを残し解体がしてあり、リフォームの順番を待っています。

 

 

 

 

 

 

4-北側.JPG次姉宅の北側、流れ着いた車が二台、三台と折り重なっていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1-北側.JPG水道、電気などのインフラは復旧しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大晦日の晩、「紅白歌合戦」で長渕剛さんは石巻で歌う事になっていました。石巻の人々もどこで歌うのか知りません、混乱を避けるため秘密にしていたようです。私もテレビで見ていたのですがその場所は津波と猛火に見舞われ、被害が大きかった門脇小学校でした。

4-門脇少.JPG

4月中旬の門脇少学校。校長先生の機転で全員の生徒は裏山に避難をし無事だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

1-門脇.JPG

元旦の門脇小学校。この校庭から全国に向け放映されたのです、見物の人が沢山来ていました。

1-南浜.JPG

校庭から目を海側に移すと、海岸線まで壊滅的な被害風景が広がっているのです。

 

 

1-パルプ.JPG

壊滅的な被害を受けた日本製紙石巻工場。戦前から石巻の基幹産業として経済を支えて来ました、復興のシンボルとして全社を挙げて再稼働にこぎ着けたのだそうです。雄々しく吹きあげる煙がなんとなく私の気持ちをホッとさせてくれたのでした。

 

三日の朝、「混むから早めに出て行った方がいいよ」と姉が言ってくれました。

11時発のバスに乗り私は石巻を後に致しました。