
2011.12.28
12月28日当社は仕事納めの日。
午後から皆で大掃除、古くなったカタロクなどをかたずけます。
その後今年最後のミ―ティング。
最後は工事部長興梠の音頭取りで"手締め"。
これが当社恒例の行事です。
昨年11月末にオープンした新モデル「桧の香」がとても好評を頂き、本年の年明けは良いスタートを切る事が出来ました。
しかし3月11日「東日本大震災」がおこり、私の故郷石巻市をはじめ東北地方太平洋岸は大きな災害に見舞われたのです。重ねて福島原発の大事故が大きな災いをもたらしました。一日も早い被災地の復興を祈願するものです。
発災後、断熱材や合板などの建築資材が不足となり工事工程の遅れを大いに心配したのですが、各方面のご支援により当初危惧をした程の影響もなく工事を進める事が出来ました事感謝いたします。
震災の影響による受注の減退も心配いたしましたが、思い掛けない多くのお客様からのご発注、誠に有難うございました。
夏には大型の台風に見舞われ、多くの被害も発生致しました、ご迷惑をおかけした皆様には心中よりお詫び申し上げます。
公私共に激動だったこの一年、多くの皆様に支えて頂いた一年と考え感謝を深くするもので御座います。
来る年が皆々様にとり幸多き年であります様お祈り申し上げます。
「良いお年を」
2011.12.19
3月11日、私は故郷石巻の実家、親戚、知人、友人に電話を掛け続けました。12日に日付けが変わる頃、ただ一人つながったのが友人の新妻健悦君でした。
「どんな状況になっているの」の問いに、いつもの彼らしくとても落ち着いた声で「今アトリエの二階(ロフトの様な)に妻と二人でじっとしている、一階には床上1メーター以上の水が押し寄せている、とても外に出られるような状況ではない、早く夜が明けて状況の把握がしたい」その後二日ほど2階から降りれなかったそうです。
新妻君は石巻高校の同級生、美術部の仲間です。美大を卒業後故郷石巻で児童絵画教室「アトリエ・コパン」を主宰しています。子供が本来持っている個性、感性を大事にする彼のユニークな美術教育は日本国内のみならず海外からも注目を浴びています。平成20年には日本美術教育学会の奨励賞を受賞し、現在は宮城教育大学講師として後進の指導にもあたっています。
東京での展覧会《「B言語の世界」ー秘密を探すこどもたちーアトリエ・コパンの実践・展》の案内状が送られて来たのは11月の初めの事でした。
一昨日私は東京四谷へ出かけました。
「造形言語のA」(A言語)
身辺世界を瞬時に既得像(具体像、概念)で解釈しようとする、いわゆる大人の観かた。
「造形言語のB」(B言語)
子供たちは生まれ持った五感で物を見、聞き、既得像にとらわれない創作をします。(チョッと難関なので、私が解釈をしてみました)
B言語の世界
「花を描く・粘土でうさぎを作る」をやめて、主題から解放されると「探索的な衝動-B」の出番です。造形のベースとなる色彩や線や素材そのものを自立させ、"解"の想定をやめて未知に向かって走り出す・・・・・そんな子供たちは精神の冒険を開始します。
アトリエ・コパン主宰 新妻健悦
会場はCCAA アートプラザ ランプ坂ギャラリー(旧四谷第四小学校)東京おもちゃ博物館としても知られています。
期日は12月14日(水)から25日(日)まで

「ワンボックスカー一台に積めるだけ 持って来たんだ―」と言っていた作品は一点一点とても面白い物でした。
阿部任君の作品
被災から九日目、奇跡的にお婆ちゃんと救助された阿部任君は救助のヘリを待つ間、警察官の「将来何になりたい」との問いに「芸術家になりたい」と答えたそうです。このニュースを見ていた私は直感で新妻君のお弟子さんだな、と思いました。案の定、任君はアトリエ・コパンの生徒だったのです。
会場で,私の横が新妻君、新妻夫人、新妻夫人のご友人、彫刻家翁譲氏
全員宮城県出身者です。
この後皆さんで夕食、懐かしい話や珍しい話で、楽しい一時を過ごす事が出来ました。
2011.12.03
私が新進建設に入社したのは昭和58年10月の事でした。当時は社長を含め3人の会社だったのです。
当時の地鎮祭は、工務店が竹、砂、縄、を用意し、施主はお供えの魚、野菜、塩、水、お米を用意して、神社に神主さんをお迎えに行き現場にお連れして地鎮祭を行ったものでした。(今でもこの様にしている地域が多いのでは)
当時の本社は秦野市渋沢、近くに「出雲大社相模分祠」があったので地鎮祭の度にお願いをしていました。神主さんは、草山様、聞けば草山家は18代先までははっきりたどれる秦野の旧家だそうです。代々この地域の神職を務めて来た家柄です。
出雲大社相模分祠
明治21年島根県の出雲大社第80代の国造・千家尊福公の要請により、当地累代神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主のご神徳を関東一円に広める為の要処創りとして祭る事になった。当時は渋沢峠に在ったが昭和55年現在の場所に御遷座する事になった。
草山様のお住まいであり斎館、社務所も兼ねる建物は大正12年関東大震災の年に建てた建物、90年の月日が流れお建て替えをする事となったのです。
その設計、施工管理を当社にご依頼頂きました。
純和風、「斎館、社務所」にふさわしい設計をしなければなりません。私が師と仰ぐ建築家氏居良男氏に設計をお願いする事にしました。氏居氏は私が新進建設に入社する前、在籍していた建築会社の設計の責任者でした、和風建築に造詣が深く意匠的にも優れた感性の持ち主です。

完成予想図、屋根は銅板葺きの入母屋、化粧垂木。
11月25日、関係者が揃い地鎮祭を執り行いました。
当社としてもこの普請は意義の深い物と考えています、地域のモニュメントになるような建物にしたいと考え、精魂を込め尽力をしたいと考えております。
皆様も、出雲大社相模分祠にお参りの節には工事の進捗をお楽しみにされて下さい。